水瀬家の台所 作:GLUMip ベッドの上でごろごろしていると、誰かがノックする。 「祐一、ちょっと・・・」 名雪だった。 ドアを半開きにして中を伺うだけで入ってこようとしない。 「名雪、何か用か?」 名雪は眉をひそめながら、ちょっと・・・と言いよどんで招くしぐさをした。 ・・・なんだろう。 立ちあがって名雪の方に歩み寄ると、耳元に口を寄せてささやいた。 「変な音がするんだよ」 腹の虫か? 「台所から、変な音がするんだよ」 腹の虫に違いない。 「祐一、わたし怖いよ。一緒に来てよ」 たかが腹の虫、自分でなんとかしたらどうかと言いたかったが、名雪に機先を制された。 「来てくれないと、夕飯祐一だけたくあん。」 何処で覚えたのか、名雪は切り札というものを知っている。 さすがに味噌汁の椀にまでたくあんを盛られるのは勘弁なので、 名雪に従ってしぶしぶと階段を降りる事にした。 「まったく、気のせいだよ気のせい」 「気のせいなんかじゃないよ。人の声がするよ」 おおかた、近所の子供の声でも聞こえたんだろう。 台所に立ってみると、案の定何ともない。 「しっ・・・祐一、静かにして」 名雪が口元に指をあてがう。 「・・・たすけてくれ・・・」 ・・・聞こえた。 「ほら、助けてくれって聞こえるよ・・・」 名雪が泣き顔になって俺の腕にすがり寄る。 窓の外から近所のテレビの声でも聞こえているのかと思ったが、どうもそうではないようだ。 さらに注意深く耳をそばだててみる。 「祐一・・・床から聞こえてこない!?」 床・・・耳を近づけてみると確かに床の下から声がするような気がした。 床板をコンコンと叩いてみた。 「誰かいるのか?助けてくれぇ!」 声ははっきりと聞こえた。 「おい!誰かいるのか?」 「助けてくれ!助けてくれぇ!!」 俺と名雪は息を飲んだ。 今やはっきりとこの下から声がしていた。 名雪はすっかり青ざめて俺の腕にしがみついている。 「おい!この下にいるのか?」 間髪を入れずに返事があった。 「そうだ!あの女に捕まったんだ!!早く出してくれっ!」 あの女・・・!? 俺と名雪は顔を見合わせた。 中の声は半狂乱になって叫びつづける。 「出してくれ!早く出してくれぇ!!あんな風になるのは嫌だァ・・・」 名雪が余りの出来事に全身をがくがくと震わせながら叫ぶ。 「祐一っ!なんとかしなきゃ!なんとか!」 そんな事は判っている。しかし・・・ 床に目を走らせると、床下収納庫の取っ手があった。 これか! 取っ手のロックを解除しようとボタンを押すが全然動かない。 どうなっているんだ、これ・・・ 「祐一、わたしがやってみるよ」 名雪がそう言いかけた、その時、背後で大きな音がした。 まずい、秋子さんが帰ってきたのだ。 「ただいま・・・あら?どうしたの二人でしゃがみ込んで、探し物?」 「い・・・いえ、なんでも無いんです」 「そうそう。もう、見つかったんだよね、祐一!」 慌てているのは自分でもわかる。 名雪の顔色を見れば、秋子さんには簡単にわかってしまうかもしれない。 「名雪、古典の課題は終わったのか?」 「あ、大変、まだ全然手をつけてないよ」 「俺もだ・・・早いところ済まさないと」 ・・・かなり苦しかったが、なんとか部屋へ戻るのに成功した。 名雪が俺の部屋の片隅でぶるぶると震えている。 「祐一・・・あれは・・・」 名雪の傍に寄って、肩を寄せ合う。 「気にするな・・・幻聴だ」 「だって!あれ・・・」 重苦しい空気が部屋中を覆いつくした。 結局、その夜は名雪が俺のベッドで寝る事になった。 二人ともなかなか寝付けなかった。 翌日・・・ 秋子さんが仕事から帰ってくる前に、名雪と二人で台所に立った。 昨日の床下収納庫・・・ おそるおそるロックに手を伸ばす。 パチン。 音がして、あっけなく取っ手が飛び出てきた。 ゆっくりと収納庫のパネルを持ち上げる。 湿気の多い澱んだ空気が漏れ出す。 ところが・・・ 床下収納庫には何も無かった。 俺と名雪はあっけに取られつつも、床下を覗き込んで見た。 収納庫の片隅にはジャムが入ったビンが転がっていた。 ただそれだけで、他には何も無かった。 「ピンポーン」 ドアチャイムの音でハッと我に返る。 「名雪ー、ドア開けてくれるー!?荷物が多くて開けられないのよー」 まずい、秋子さんだ。俺は大慌てでパネルを元に戻し、2人で玄関へ飛んでいく。 「秋子さんおかえりなさい」 一抱えはある荷物を持ちながらいつものように秋子さんが微笑む。 「スーパーが特売だったから、いっぱい買ってきたんですよ」 そして、いつものように台所へと向かい、秋子さんは夕食の準備を始める。 俺は昨日の出来事を忘れようと思いながら秋子さんの背中を眺めやった。 必死で否定し、首を振る。白昼夢だ。あれは、白昼夢なのだ。 それが証拠に、収納庫には何も無かったじゃないか・・・ 俺は黙って階段を登りはじめた。 階段を半分ほど登ったその時だった。 祐一さん、と呼びとめられ、俺は振りかえる。 「はい!?」 秋子さんは階段の下でにこやかな笑みを浮かべていた。 「新しいジャムを作ったんですけど・・・」 秋子さんの両目が光るのを、俺は見逃さなかった。 おわり