芽 作:GLUMip あゆが消えてから、おれはその場に立ち尽くしていた。 冷たく、凍った空気。空(くう)をつかむ、俺の手。 「あゆ・・・」 ぽつりとひとりごち、たたずむ。 俺・・・忘れるのかな・・・ あゆ、俺が忘れたら、お前は・・・ ぶんぶんと首を振った。 それから小一時間ほどたたずんで学校を去った。 「どうしたの!?祐一!すごい、すごいドロドロだよっ!」 森のトンネルを抜け、家に着くと玄関の名雪が声を張り上げた。 秋子さんが顔色ひとつ変えずに、言う。 「疲れているんでしょう?ゆっくりお休みなさい」 秋子さんは全て知っているかのようだった。 風呂場の鏡で、焦燥しきった顔と対面した。 風呂の中でも、ひとりっきり。 「あゆは・・・もういない・・・」 ぽつり、と声が出る。 ぐっと手を握り、そして開いてみる。 当然、手には何も無かった。 そう、俺は全てを失ったのだから。 あゆが口にした、3つめの願い。 俺の負担に、俺の人生の負担にならないように、と。 本心でない事は、わかっている。けれど、俺はそれを実行に移してしまうのだろうか。 風呂からあがって、ベランダに出る。 俺は寒気に身を委ねる。 「2分だけだぞ・・・」 答えてくれる人はいない。 7年かけた愛。 しかし、閉ざさねばならない思い出。 7年前のあの日、全てを失った俺ができたように・・・ また、俺はこの日々を封印するのだろうか。 怖い。時間が経つのが怖い。 忘却の彼方に、あゆを閉じ込めるのが、怖い。 最後にあゆが、笑った事も忘れてしまいそうで・・・ 雪が終わり、春が来る。 あれからも日常は続いた。 まるで何事も無かったかのように。 日常は、過ごせたのだ。 しかし、あの日以来一人でいると独り言を言うようになった。 自然と口をついて出る、あゆの名前。 次いででてくる言葉。 「忘れられそうにないよ」と。 忘れないんじゃない、忘れられそうにないよと。 でも・・・人は、日常に引き戻されるのだ。 一緒に過ごした日々も、今は彼方・・・ そこまで考えてしまった俺は勢いよく立ちあがって頭を振った。 もうすっかりベランダには出なくなっていた。 夢は、いつか終わる。 あれからずっと「学校」には寄っていなかった。 しかし、自分の気持ちに区切りをつけるために、もう一度だけ「学校」に寄る気になった。 こんなに暖かで穏やかなこの街は初めてだった。 うららかな日曜の午後、俺は山の緑へと足を向ける。 あの日、あゆの背中を追った森のトンネルを歩く。 長い・・・こんなに長かったか!? 歩いていると自然と涙が出てきた。今、道を行くのは俺一人なのだ。 「俺一人で進まなきゃ、いけないんだな。」 そう、あゆのためにも。 長く暗いトンネルを抜けると、学校に出た。 「また来てしまったな。」 学校の、跡に座ろうかと思ったが躊躇した。 思い出すからだ。 「あゆのためにも、俺は前を向いて歩かなきゃいけないよな・・・」 切り株に語り掛けるようにつぶやく。 そして、言葉を続ける。 「あゆ、ありがとう。」 次に言おうと思っていた言葉。 別れの言葉。 「あゆ・・・」 しかし、喉に詰まって出てこない。 ・・・と・・・ 切り株の根っこから、ちょこんと小さな緑の芽が出ているのに気づく。 あゆが最後に涙をこぼした、あの場所に。 俺はあの場所に座った。 足元にはひっそりと、しかし天に向かって一直線に伸びる芽があった。 「あゆ・・・あゆなんだろ・・・」 気がつくと俺は泣いていた。 「俺達・・・ずっと一緒だぜ。」 木の芽に語り掛ける俺の頭を、風がやさしく撫でていった。 「俺・・・忘れないよ。」 やがて日が暮れて、あたりが真っ暗になってから俺は家に帰った。 あの日の記憶が蘇る。しかし不思議と落ちついている。 そう、それでも、俺はあゆと出会って良かったと思うようになったのだから。 俺にはあゆがいると言えるようになったのだから。 ・・・翌朝 「雄一さん、今朝のニュースでやっていたんですけど知ってますか・・・」 世間話を始めるように、いつもの口調で秋子さんが俺に話しかける。 「昔、この街に立っていた大きな木のこと」 「・・・え?」 季節が流れていた。雪解け水のように、ゆっくりと、ゆっくりと・・・ 「昔・・・その気に登っていた子供が落ちて・・・」 「同じような事故が起きるといけないからって、切られたんですけど・・・」 「その時に、木の上から落ちた女の子・・・」 凍った思い出、溶けるように・・・ 「7年間戻らなかった意識が、今朝戻ったって・・・」 新しい季節が動き出すように・・・ 「その女の子の名前が、たしか・・・」 雪の下にあった、木の芽が顔を覗かせるように・・・ 俺の頭に、あの名前が浮かぶ。 「月宮・・・あゆ・・・」 先に名前を口にしていたのは俺のほうだった。 おわり