喪失 第3話    「リノリウムの床」 作:GLUMip 無機質な白い壁には、あまりいい思い出が無い。 病院の窓からは駐車場の木が見えるのだが、それすらも寒々とした印象を見る者に与えるだけだった。 殺風景な部屋の中で、俺は秋子さんと一緒に医師の話を聞くべく、簡素な椅子に腰掛ける。 壁に張り出された様々なレントゲンや断層写真に目を配ると、程なく医師がやってきて椅子に座った。 医師は、検査の結果ですが、といいながら書類ケースから写真を取り出して淡々と語りだした。 説明はひたすら事務的に進む。 抑揚の無い単調な響きは、少しずつ、だが着実に、俺が今まで立っていた場所を削ってゆく。 流暢だった医師の言葉が詰まったのは、カラーのフィルムを映した時だった。 「…それから、非常に申し上げにくいのですが」 はい、と答える秋子さんの声がかすかに響く。 一呼吸おいてから、医師は非情にも事実を語りだした。 …嘘だろう!? あんなに元気で、あんなに明るいあのあゆが。 七年間も俺を待ちつづけてくれたあのあゆが。 助かったと思っていたあのあゆが。 死ぬかもしれないなんて!! 写真を指差す医師をよそに、俺はリノリウムの冷たい床を眺めていた。 天井の青白い蛍光灯の反射がタイルに映されているのだが、それすらも眩しく光って目に痛く感じる。 医師はもとより、秋子さんの顔ですら眺める気にならなかった。 頭の中で医師の言葉を反芻する。いわば動脈瘤と言うべき血の瘤が脳の近辺にあり、 あまりにも危険である為に手術ができないこと。動脈を完全には閉塞していないので、 脳血栓のような症状はすぐには現れないが、将来、瘤が取れて流されていった場合、 末梢の血管を閉塞し、脳の機能を損なう恐れや命に関わる場合も考えられるということ。 専門的なことは分からなかったが、だいたいこんな話だったと思う。 医師の話はまだ続いているが、俺は既にぜんぜん聞いていなかった。 ただ、あの瞬間の光景だけが頭の中で繰り返される。 「…それから、非常に申し上げにくいのですが」 下がってきた眼鏡を押さえる医師の中指。 その瞬間だけが幾度となく描かれては消えてゆく。 柱の時計が一度鐘を打った。 リノリウムの床の上に水が垂れた跡が2つある。 ぼんやりとした頭で、俺はうなだれたまま… 俺は、泣いていたんだろうか。 つづく