テレビの中のテレビ 作:GLUMip 「祐一さん」 栞がそんな話をしだしたのは、確か百花屋の店内だったと思う。 「テレビカメラがテレビを映すと、どうなるか知ってますか?」 そんなの決まっている。テレビが映るだけだ。 「違います。テレビカメラで撮っている画が映るテレビを映した場合です」 俺は少し考えた。 合わせ鏡というものがある。 それと同じように、延々とテレビの中にテレビが続くに違いない事は容易に察しがついた。 「不思議な光景だとは思いませんか?」 言われてみれば、ちょっと不思議な気もする。 「テレビの中にテレビが映って、それがずっと続いているんです。」 「ブラウン管に反射した光が七色に輝いて渦を巻いて、すごく綺麗なんです」 「とっても幻想的な景色ですよ。きっと」 栞はそう言うと、いつものように目を潤ませた。 栞はロマンチストで、よく「ドラマみたいな」とか「夢のような」という言葉を口にする。 そんな時は、決まってこんな目をする。 夢見がちな女の子のする瞳…というと、あまりに陳腐だろうか。 しかし、ボキャブラリの貧困な俺にはそんな表現しか思い浮かばなかった。 「…でも…」 かすかに頬を上気させていた栞の顔に影が差す。 「一緒にテレビに映ると、吸い込まれてしまうんです」 相変わらず栞の言うことは現実離れしていた。 しかも、まるで見てきたかのように言う。 これもいつもの事だったが、そんなとき決まって俺は言い合いをしてしまうのだった。 そんなのただの噂だな、とか、迷信だ、とか。 そして、大抵は二人とも折れるということをせずに、むきになってしまう。 だから俺は栞のことを子供扱いする事ができない。本当は。 「そんな噂を信じるなんて子供だななんて言わないでください」 こんな事で言い合いになるほどお互い子供なのだから、一方的に子供扱いされたら怒るのも当然だろう。 頬を膨らませて怒る栞の手前、一歩も引けなくなってしまった俺は、手持ちのビデオカメラで実験することになってしまった。 水瀬家のリビングに腰を据えた俺たちは、ビデオカメラを前に固まっていた。 「それでは、電源を入れてください」 心なしか、栞の口調に儀式めいた厳かな雰囲気を感じる。 俺はもう一度テレビとカメラがつながっているのを確認してから電源を入れた。 『キーーーーーーーーン』 途端に甲高い音がする。 慌てて電源を切った。 考えてみれば無理もない。二つの機械は見事にハウリングしていた。 テレビのボリュームを最小に絞ってから再び電源を入れる。 壁を映して画像が映っていることを確認した後、栞へカメラを向けてみる。 まだどこか拗ねた雰囲気を残してはいたが、それよりもこれから起きる出来事へとすっかり関心が移っているらしく両手を固く握って神妙な面持ちをしていた。 「はやく始めましょう」 栞に促されて恐る恐るテレビへとカメラのレンズを向ける。 左下の角から徐々にテレビの画面がフレームインする。 天井の明かりが映りこんで白く光るブラウン管がプリズムで分光したような七色の光の尾を引いて奥へと吸い込まれて行く。 栞が話していたように、光の尾は渦を巻くように奥へと消えて行く。 その奥に何があるというのか。 カメラを左右に動かすと、光は千変万化の万華鏡のごとくその形を変え俺達を魅了する。 「わぁ…綺麗ですー」 栞は目を細めてその様子を眺めやった。 確かに美しい。光のショーとも言うべきか。 わずかにカメラアングルをずらすだけで光は波を打ったり渦を巻いたりする。 引き込まれるようなその景色。 奥へ奥へと脈動するその映像には一種の妖しさが漂っている。 眺めるものを捕らえて離さない魅力。 美の根底に横たわる魔物が、俺を捕らえていた。 「祐一さん」 不意に栞が俺を呼ぶ。 ファインダーを覗きこんだまま俺は生返事をした。 「祐一さんっ」 テレビに夢中な俺の視界に割って入るように栞が顔を突き出した。 …ちょうど、テレビを背景にするように。 「あっ!」 驚くような栞の声が聞こえ、次の瞬間、栞は姿を消してしまった。 俺は声すら出なかった。 栞は波打つテレビ中を泳いでいるかと思うと、そのまま画面の奥のほうへ流されて行く 「祐一さ〜ん!!」 救いを求める栞の手が伸ばされる …が、それも所詮は画面の中での出来事だ。 俺は栞の名を叫びながらテレビに抱きついた。 ブラウン管を懸命にたたくがどうなるわけでもない。 栞の姿は徐々に小さくなっていく。 小さな手が懸命に打ち振られ…それも光の波に飲まれてやがて見えなくなってしまった。 そんな…そんな馬鹿なことが… ああ、これなら最初から栞の言うことを信じるんだった。 考えてみれば、今までも大抵は栞の言うことが正しかったような気がする。 その都度、俺がバニラアイスを奢るはめになっていたのはいつもの事でなかったか。 だが、今更そんなことを考えても始まらない。 現に栞は消えてしまって、目の前にはブラウン管があるだけだ。 後ろの蓋を開けてみようか。はたまたブラウン管を割ってみたらいいだろうか。 けれでも、どれも不吉な結果を招きそうな気がして手が出せない。 根本的な解決につながる答えなんて見出せそうになかった。 結局、俺はただひとつ、最も危険性が少ないと思われる方法を選択した。 左手にカメラを構え、テレビを映す。 わきの下に汗が噴出すのを感じる。 瞬間、息を止めて手首を一気に回転させ、渦巻きの中心に俺の姿を合わせる。 途端に俺は落ちていった。 どこへ落ちるとも知れない落下。ただ、下向きに加速してゆくという感覚のみを感じ、俺は果て知れず落ちていった。 「祐一さん…気がつきましたか?」 まぶしい光を感じ、目を開けると栞の姿があった。 ここは… 「テレビの中です」 そこはテレビの外となんら変わらない場所だった。 水瀬家のいつものリビング。栞もいるし、俺もいる。 ここが栞の言うとおりのテレビの中ならば、目の前のテレビの中にも同じような世界があるんだろうか。 そして、誰かがテレビの中にいる俺達を見ているんだろうか。 そんな人たちもまたテレビの中にいて、それを見ている人がいたとすると… 俺は軽い目眩を感じた。 …ただでさえゲームの中の住人なんだ。 これ以上他人に見られてたまるか。 おわり